Japan • 🌿 Progressive

Kanagawa exhibition honors Kako Satoshi's century of children and conscience

神奈川近代文学館で加古里子の生誕100年展――遊びと良心が交差する回顧展

神奈川近代文学館では、1926年生まれの絵本作家・加古里子の生誕100年を記念した回顧展を9月23日まで開催しており、600冊を超える作品群の創作の全軌跡を展示している。1953年制作の紙芝居『おかあさん』の絵カードや死後に発見された反戦的な原稿など、今回初めて一般公開される資料も含まれている。

加古里子(1926〜2018)の生誕から100年の節目を記念し、神奈川近代文学館が回顧展を開催している。会期は9月23日まで。生涯に600冊を超える作品を世に送り出した児童書作家・絵本作家の創作の全軌跡を、戦後間もない地域活動の時代から複数の言語に翻訳された代表シリーズに至るまで、一堂に展示する。加古の名を陽気な物語でのみ知る来場者にとって、この展覧会はより完全で、ある意味においてより挑戦的な人物像を突きつけてくる。

--- 背景 ---

加古里子は1948年、東京大学の応用化学科を卒業した。しかし卒業後の彼は、専門的なキャリアにだけエネルギーを注ぐ道を選ばなかった。神奈川県川崎市で子どもたちの学びと遊びを支える社会福祉活動に、余暇の時間を費やしたのである。そこで子どもたちと絵を描き、ともに遊び、紙芝居の物語を制作した。紙芝居とは、大判の絵カードを使う劇的な語りの形式である。その場で描いた絵が出版社の目に留まり、やがて絵本『だむのおじさんたち』での作家デビューへとつながった。

戦争が終わったとき、加古は19歳だった。戦争へと突き進んだ軍国主義的な体制を、疑いもなく受け入れていた自分への深い幻滅が、彼の内に生まれた。その経験から生涯を貫く信念が育まれた。子どもたちには、自分の目で世界を観察し、自ら考え、自ら行動してほしい——そう加古は願った。戦争中に自身が目撃したことを下敷きにした『あき』、南太平洋で戦死した兵士を探すクラゲを描いた『パポのくらげ』は、彼の死後に原稿が発見され、ともに死後に出版された。

--- 事実 ---

今回の展覧会で最も注目すべき展示品のひとつが、紙芝居『おかあさん』(1953年)の絵カードである。この作品は、父親を戦争で亡くした家庭で母親が働きながら家族を支える暮らしを、子どもたち自身が書いた文章や描いた絵をもとに構成したものだ。この紙芝居のカードを含む初期作品群は、今回初めて一般公開された。

展覧会はまた、1967年に初版が刊行された『だるまちゃんとてんぐちゃん』の比較展示コーナーも設けている。初期スケッチと完成作品を並べて見せることで、加古がてんぐちゃんの履く高下駄の高さを調整し、だるまちゃんと目線が合うよう工夫した過程が明らかになる。子どもの視点をどう捉えるかという、小さくとも示唆的な判断である。だるまちゃんシリーズの絵本は英語・中国語・韓国語をはじめ複数の言語に翻訳されている。

1973年に刊行された『からすのパンやさん』は、加古の最も親しまれた作品のひとつだ。物語の中でパン屋は、きのこ・シマウマ・えんぴつ・のこぎり・飛行機・バイオリンなど、変わった形をした84種類のパンを焼いて大繁盛する。作品のあとがきで加古は、この物語の原点が職場の先輩への結婚祝いとして手作りした絵本であり、その後、子どもの会での集まりを経て練り上げられたと記している。この本は英語とイタリア語に翻訳されている。

展覧会の出口では、加古が2014年に刊行した自伝『未来のだるまちゃんへ』の言葉を刷った8枚のカードを、来場者が1枚持ち帰ることができる。その言葉のひとつが、展覧会のサブタイトルにもなっている。「生きているって、ほんとうによかった」——そのフレーズである。

展示室には、加古が手描きした平和ポスターも並ぶ。そのうちの1枚は1952年ごろ制作されたものだ。育児雑誌への寄稿文のなかで加古は、「最も無能な指導者が戦争によって国家間の紛争を解決しようとする」こと、「戦争で利益を得て支配を拡大しようとする者たちが世界各地でそうした指導者を支え続けている」ことを記した。その雑誌は福音館書店が発行したものである。

--- 当事者の立場 ---

加古の長女である鈴木万里は、展覧会における父の遺産を語る主要な語り手である。だるまちゃんのキャラクターは、加古が生涯にわたって出会った多くの子どもたちの姿を取り込んでいると鈴木は言う。科学絵本については、加古が「子どもたちは物事をありのままに見抜く大きな力を持っており、つまらないと思えばその場を離れるだけだ」と信じていたと語る。加古にとって科学とは、記号や化学式の暗記ではなく、身近な小さなものの違いに気づき、そこから発見する行為だった、と鈴木は説明する。

家庭では父が平和について説教することはなかった、と鈴木は言う。加古は自らの信念を、静かに物語と科学絵本を通して伝えていた。地域での子どもたちとの活動が、やがて科学絵本を書く決断へと直結している、と鈴木は見る。子どもたちが世界を正直に見る力を信じたからこそ、加古は科学を教授ではなく発見として提示しようとした——彼女はそう主張する。今回の展覧会で引用される外部の評論家や機関の声は、ソースには存在しない。

--- 未解明の点 ---

会期開始以来、何人の来場者が展覧会を訪れたかについて、ソースは報告していない。9月23日の閉幕後に他の会場に巡回する予定があるかどうかも、現時点では明らかではない。600冊を超える加古の作品群のうち、具体的にどの作品が今回の展覧会で展示されているかも、ソースには示されていない。

--- 未回答の問い ---

死後に原稿が発見された『あき』と『パポのくらげ』の背後にある原稿は、出版あるいはさらなる展示を通じて、今後より広く一般に公開される見通しはあるのか?

加古の原画や原稿の長期的な保存と公開アクセスにおいて、加古研究所は具体的にどのような役割を担っているのか?

『おかあさん』の紙芝居カードをはじめとする今回初公開の資料は、生誕100年展の終了後も、恒久的にアクセス可能な形で保存・公開される計画があるのか?

--- EPM分析 ---

今回の展覧会が特異なのは、生誕記念という祝祭的な文脈にありながら、対象を美化することを拒んでいる点だ。1953年制作の紙芝居『おかあさん』の絵カードと、84種類のパンが踊る『からすのパンやさん』の賑やかな世界を並置し、さらに手描きの平和ポスターと死後に発見された反戦的な原稿に正面から光を当てることで、神奈川近代文学館は一つの主張を打ち出している。加古の遊び心と政治的良心は、切り離せない一体のものだった、と。

展示を見渡すと、加古の創作の軌跡が単なる児童書作家の歩みではなく、戦争体験と社会福祉活動と科学への信頼が複雑に絡み合ったものであることがわかる。鈴木万里の証言は、その絡み合いを内側から照らす。しかし彼女の声のみが語り手として立つ構造は、加古の遺産をめぐる解釈の幅が、まだ外に開かれていないことも示している。今回初公開された資料が、この展覧会の会期という限られた時間の外でどのように生き続けるか——その問いに答えるのは、今を生きる私たちの世代の責任でもある。

📌 EPMの結論: 今回の展覧会が突きつける本質的な問いは、加古里子が「未来のだるまちゃんへ」書き続けた作品群を、現在その資料を預かる機関が本当に守り抜けるかどうかだ。EPMの見るところ、1952年ごろのポスターから死後に見つかった原稿まで、今回初めて公開された資料の存在そのものが、保存と公開の意志を試す踏み絵となっている。遊びと良心を分かちがたく結びつけた作家の仕事は、展示室の外でこそ問われ続けなければならない。

✍️ Erick Prometeo | erickprometeomedia.com

📤 Share on Telegram

Get more Japan coverage in your inbox.

🏴 エリック・プロメテオ・メディアのニュースレターを無料購読